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患者さんとの思い出

理学療法士になって1年間、必死に走り続けた。

見たこともない疾患。治らない病気。痛がる人々。

そんな人に自分ができるのは、

“理学療法を提供すること”=”運動させること”だけだと思っていた。

安静にすることの害が声高に叫ばれる中、とにかくベッドから出させて、

することがなくても座らせておく、

それが自分の仕事であり義務であるという考えが出来上がり始めていた。

そして、そういう理学療法を受けることも、医療費を使う国民の義務であると。

理学療法士2年目の夏。私は上腕骨骨折で入院した患者さんを担当していた。

90歳を超えた女性。2週間ほどは上手くいった。

起きることを嫌がらなかったし、平行棒内での歩行練習も行えた。

認知症はあったが、ある程度の会話はできた。

でも、骨折していることはいつも覚えていなかった。

その方はあまり食事を摂れていなかった。食欲がない。食べたくないと言うのだ。

毎食1割ほどしか食べていなかった。そして、今度はリハビリを嫌がるようになった。

その時の私は、食べられない理由も、リハビリを拒否する理由もわからなかった。

ただ、わがままを言っているように感じた。

だから拒否されても、強引に離床は進めていた。

ある日、彼女が怒った。

「嫌って言ってるでしょ!」

そう言って私を叩いた。

叩いたと言っても大した力では無く、私はそこまで気にしなかった。

離床を促して叩かれることは良くあることで、慣れてしまっていた。

けれど、彼女は何度か私を叩いた後、「父と約束したのに、、、」と言って泣いた。

この人はもう90歳を超えた超高齢者だ。

そんな人が、

認知症になっても覚えているような、

きっと幼い頃にした父との約束を、

この歳で破らせてしまったのかと、

自分が間違えているのは明らかだった。

仕事とか義務とか、そんな言葉でどんなに繕おうと、自分の正しさは証明できなかった。

むしろ、彼女をこんなふうに傷つける権利が私にあっていいはずが無かった。

次の日、彼女は私を叩いたことなんて覚えていなかった。

いつものように、笑いながら自分がここにいる理由を聞き、

骨折していると聞かされて驚き、離床は嫌がった。

もう私は無理には離床を進められなかった。

それからしばらくして、彼女は自宅に退院した。

あれから何年経っても、あのときの「父と約束したのに」と言って泣く彼女の言葉が忘れられないでいる。

それからずっと、自分の仕事について自問自答が続く。

私は理学療法士だから、現在の医学で証明されている最高の理学療法を提供することが自分の仕事であると思っていた。

そこに相手の希望の入る余地は無く、望まれなくても与えることを良しとしていた。

それが正しかったのか?と。

それからしばらくして、私の仕事は理学療法を提供することでは無く、理学療法はあくまで手段なのではと考えるようになった。

仕事は、目の前の患者さんを良くすること。幸せにすること。望みを叶えてあげること。

そんなふうに考えさせてくれるきっかけをくれた彼女への懺悔の気持ちと感謝の気持ちは

理学療法士を続ける以上、忘れられないだろう。