あっという間に8月が終わり、
夏が終わりを告げようとする。
外に出れば感じる秋の空気。
青かった空が少し白っぽくなり、
分厚かった雲は細くたなびく。
朝の時間を抜けていく風は涼しく、
トンボが1、2匹飛んでいく。
気がつけば蝉の大合唱も
耳に優しくなってきた。
いつも早く過ぎ去る夏が、
今年はさらに早く通り過ぎた。
夏の始まりは早かったように思う。
5月の末には30℃を超え、
妊娠後期に入った身体には過酷だった。
産休に入る6月半ばまでは、
毎日通勤電車に乗り、
自宅から駅までと駅から職場までの間を
重いお腹を抱えて
ノロノロと歩いた。
産休に入ると、
多動傾向のある私には刺激が少なすぎて、
毎日近所の散歩に出かけた。
何かしないと、という焦燥感があり、
何もせずに安静に過ごすということが
あまりに困難に感じた。
Twitterを眺めて過ごすのにも
飽きてしまった。
妊婦の運動やモンテッソーリ教育に関する書籍に没頭し、
家の掃除を必死にし、
料理も楽しんだ。
時間がある今しかできないことを
後悔せずにやってしまいたくて
必死だった。
運動が安産につながると信じて
階段昇降や早歩きを楽しんだ。
7月。コロナになった。
臨月でのコロナ感染。
重症化こそしなかったが、
止まらない咳で腹圧がかかり、
いつ生まれてしまうかと、
かなり肝を冷やした。
10日間、夫婦で自宅に閉じこもる。
運動も全くできなくなり、
自分の足腰が弱っていくのを
指を咥えてみているしかなかった。
ちょうどその期間に開催されていた、世界陸上オレゴン大会を見ることが唯一の日課だった。
自分の身体だけを武器に駆け抜ける選手たち。
100m女子の金メダリスト、
シェリー・アン・フレーザープライスは
35歳で子供もいた。
毎日、ジャマイカカラーやショッキングピンクの長い髪を靡かせて
私たちを楽しませてくれた。
トラックを軽々と走る姿と
走り終えた後の笑顔が印象的だった。
何よりこれから出産を控えていた私には、
子供がいても自分の夢や限界に挑戦し続ける彼女が
とても眩しく映った。
彼女は産後に自己記録を更新していたのだ。
出産後も”母”である前に”私”でありたいと思っていた私の
心の師匠になった。
コロナが明け、検診のため10日ぶりに外に出ると、
咲いていた紫陽花はすっかり萎れ、
蝉は驚くほどけたたましく鳴いていた。
空は青く高くなり、
ひまわりも咲き始めた。
低い天井からの解放。
大きな自由を手に入れた気がした。
そしてすぐに出産を迎えた。
死ぬ思いをして産んだ子を抱え
幸せで溢れた。
と同時に、寝れない日々が始まる。
早朝に授乳していると、
5時には朝日が昇り、
外が明るくなるのが救いだった。
その時間には蝉が鳴き始め、
外はかなりうるさいんだろうなと思った。
夕方も19時までは明るくて、
しばしば窓から外の世界を眺めていた。
面会禁止になった病院で
ひとりポツンと取り残されたようで
心細かった。
休日には夫が病院の前まで来てくれて、
窓から必死に外に手を振り、
赤子を抱き上げて夫に見せていた。
それで少し、孤独からは解放された。
8月はじめ、
黄色く眩しいひまわりとともに
我が家に3人目の家族がやってきた。
赤子中心の生活。
下僕になりきる二人。
嬉しくて楽しくてハイテンションだった。
毎日写真を撮り、
新生児を見にきてくれる親戚に囲まれ、
幸せの絶頂にあった。
それでも上ったら下りるのは世界の決まりなのか、
疲労とともに気分が落ち込むようになった。
正解のわからない問いに頭を悩ませた。
理由もわからず泣き続ける小さい巨人に
脆い心はあっさり折れた。
夫とゆっくり話す時間、
だらだらする時間が失われ、
心の燃料は夫婦ともども枯渇し始めた。
誰も潰れてしまわないように、
自分と夫と赤子のバランスを探していた。
そして自分が潰れないことが
この生活を続ける最も重要なポイントだと気づいた。
それからやっと、自分に優しくなれた。
何かしないと、と思う心は収まり、
昼寝も自分の仕事と割り切った。
正解を探すのはやめて、
6割でいいと割り切った。
母乳の量を気にしすぎたり、
抱っこし続けないとと思ったり、
考える量を減らして、
調べごとを減らして、
我が子を見る時間が増えた。
すると、泣き喚く赤子をあやす体力ができた。
泣く理由が少し見えた。
どんな撫で方が好きかわかってきた。
涼しい部屋に閉じこもりながら、
自分の内部の大きな変化を受け入れた。
そうこうしているあいだに、
外の世界は季節が移り変わっていた。
自分の心と身体が変化するのと同じように、
世界も少しずつ変わっている。
自分のことに時間を使う余裕ができるところまできた。
その時間にやりたいことも厳選できてきた。
秋が終わる頃には、
家族は、私は、どんなふうに変化できているのか。
それを楽しみに、今日も生きる。