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6割くらいの育児〜理想の母親像を破る〜

理想の母親像。

いつも笑顔で、子供の健康に気を遣う。

子供に自分の全てを捧げる献身的な姿。

我が子のために100%を尽くすひと。

そんなイメージが社会の中にあり、

自分の内にも眠っている。

自分が幼い頃にしてもらって嬉しかったこと、嫌だったことを背景に、

こんな母親になりたい、という理想を描いてしまう。

そして、理想通りではない母親を見ては、

母親失格だ、という言葉が脳裏をよぎる。

 

妊娠してからと言うもの、

理想の母親像があちこちに転がっているのが目についた。

母は聖母マリアのようであり、

暖かく慈愛に満ちて、子を見守る存在。

子供用品には、

子供のために優しい素材を選びたいですよね、

子供に添加物は取らせたくないですよね、

子供には身体に良いものを食べさせたいですよね、

と言うように

子供のために”良いものを選ぶ”ことに同意を求めるような文言が散見される。

それが母親として当たり前だ、と言わんばかりに。

 

私はこどもができる前から子育てや教育には興味があり、

関連の書籍や特集記事、教育者個人のブログなどを読むことが多かった。

母乳で育てるのが子供への1番のプレゼント、とか、

子供にこんな言い方をしてはいけない、とか、

子供が賢くなる育て方!とか、

ありとあらゆる角度から、子育ての常識は作られている。

けれどそのような場で語られるのは、

1番良いものであり、

料理で言えば、一流シェフの作るフレンチや高級寿司のようなものだったのかもしれない。

まだ子供が産まれる前は、

それが”当たり前”であり、

最低限のボーダーラインのように捉えてしまい、

自分で自分の首を絞めることとなった。

 

産まれてみてからというもの、

あまりにも予想できなかったことで生活は埋め尽くされた。

寝不足の日々、赤子は理由もなく泣いていて、

あやせどあやせど泣き止まない。

母親といれば安心するんじゃなかったのか?

思いもしなかった現実に、圧倒される。

そして、赤ちゃんが可愛く思えない。

そんな自分に嫌気がさす。

出ない母乳に焦りを募らせる。

今ですらこんな状態で、

離乳食が始まったら、

ちゃんと手作りできるんだろうか。

この子が動き回るようになったら、

ちゃんと怪我しないように守れるんだろうか。

この子が話すようになったら、

ちゃんと否定せずに話を聞いてあげられるだろうか。

今まで自分が信じてきたものが

今度は自分を責める剣となる。

思いもよらない反撃だった。

 

“気にしすぎ”と笑う夫にはっとする。

そんな自分の理想に振り回されて、

子供の前で笑えないのでは本末転倒だなと思う。

自分の中で1番譲れないことは何か?考える。

私は笑ってる母が好きだった。

みんなが楽しくいられる家族が好きだった。

だから私は、この子のために笑っていたい。

そのためには、余裕を持たないと。

100%を捧げるんじゃなくて、

6割くらいでいいか、と開き直る。

いろんな教育論や食育の情報が溢れているけれど、

うちはうちでいいやと思い直す。

嫌でも目に入る情報を少し遮断して、

好きな音楽でも聞いて過ごしてみる。

最低限の衣食住は確保して、

あとは私が笑っていられる範囲内で。

自分が自分で作った殻が破れた瞬間、

すごく心が軽くなって、

可愛い我が子が機嫌良く寝ている顔を

隣で眺めながら昼寝した。

今日は自分も甘やかそう。

この子に笑顔を見せるために。